最近強くなった
礼儀正しくもなった
頼もしいと思った
空手の持つ「道」の意味
私は社会人生活をはじめた二四歳から
極真空手をはじめました。
日常的に身体を動かす機会が
減ってしまったのを補うためにと
軽い気持ちで始めた極真空手ですが、
やがて単なる運動やフィットネスよりも
大きなものになっていきました。
それは、空手が持つ「道」としての
奥深さによるものです。
他者共存と自己肯定
それなりに体力もあり、また若さからくる根拠のない自信によって支えられてきた驕り高ぶった自尊心は稽古の中で叩き折られ、悔しい思いをしました。でもそんなものは大切ではありませんでした。
「自分は他人よりも優れている」という自尊心はいつか自分より優れている者によって破られます。
なぜ空手の修行において自分を叩く相手に礼をするのか?
なぜ尊敬する仲間を叩かねばいけないのか?
なぜ空手は競技ではなく「道」という言葉がついているのか?
強くても謙虚さを失わず、求道的に稽古に打ち込む先輩の背中を見て、稽古を続け、黙想を行うことでその答えが見えてきました。
それは「自分自身のために他人に感謝すること」でした。
途方もなく強い先輩諸氏はその仲間によって作られ、また自分の強さも仲間によって作られます。そしてその強さを作るのに自分が必要とされています。そして自分が強くなるためには必ず相手が必要なのです。
誰もが自分の目標に対して他の人の力を借りています。自分の技を磨くために相手の身体を借りる。そして相手のために自分の身体を以って助けてあげること。そこに感謝の気持ちがなければ、ただの粗暴な野蛮人です。仲間の協力に対して心から感謝すること、そして仲間のために協力すること、そこに感謝の気持ちと他者に対する尊敬が生まれ、そして礼儀へと繋がります。
空手道を極めようとする先輩方の立ち居振る舞いには他者に対する感謝の気持ちと礼儀が備わっています。
私たちは一人では生きてはいけません。社会は人の協力によって成り立ち、また社会を成すためには、社会にとって自分が存在してよい理由が必要です。 同じ道場で稽古を続ける仲間という小さな社会の中から、自分の強さを磨く中から、他者との関わりを学び、本当の礼儀を体得できます。 そして、自分が誰かの役に立てるという自己肯定は他の何者にも折られることのない新しい自尊心となり、自分の中に確固たる存在として君臨しています。
空手が育てる強さ
空手道の修行を通じて、身の危険があった時に立ち向かえる技術を学び、困難に立ち向かえる強い心を学びながら私たちは「他人への感謝と尊敬心」「自己肯定の力と自分自身を省みること」「慎み深さ」を学びます。 これらは大人は勿論のこと、日本の未来を担う子供たちにも必要とされるものだと思います。
極真空手で培われるのは心だけではありません。古くは琉球王国にその源流を持つ空手のトレーニングは、現代スポーツで重視されている体幹(インナーマッスル)を鍛えるのに極めて合理的な体系を持っています。
K-1などで知られるプロ格闘技や総合格闘技の世界でも数々の名選手を輩出していますし、また他のスポーツへ転身される人も、極真空手のトレーニングで培われたその体幹の強さを生かすことができます。 日常生活においては猫背の矯正や腰痛防止に役立つコアマッスルの鍛錬など健康を手に入れることに役立ちます。
空手の道を志すのに遅すぎることはありません。私たちは稽古を通じて一緒に心身を鍛え、共によき人間つなるための道を歩む仲間を心よりお待ちしています。